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◆ 菅茶山の世界
江戸時代後期を代表する漢詩人であり、儒学者・教育者でもある菅茶山(かんちゃざん)と、その縁のある人々が作成・収集を行った学問・文芸・芸術に関する資料である「重要文化財菅茶山関係資料」を展示し、近世の歴史・文化を紹介しています。
⇒「重要文化財菅茶山関係資料」
◆ 守屋壽コレクション
令和2年10月及び令和6年10月に当館が寄贈を受けた「守屋壽コレクション」は、西洋と日本の古地図を核とする国内最大級の歴史資料群です。
広島県福山市出身の守屋壽氏が長年にわたり蒐集・形成された貴重なコレクションを展示・紹介しています。
⇒「守屋壽コレクション」
どちらも資料は2か月ごとに入れ替えます。
展示の概要
菅茶山(1748~1827)は、江戸時代後期の儒学者・教育者・漢詩人で、「当代一の漢詩人」と称され、全国に名を知られました。
茶山が開いた塾(廉塾(れんじゅく))では、塾のある福山市神辺町の人々だけでなく、全国各地から学びに来る人々にも儒学や漢詩を教えていました。
茶山が教えていた儒学や漢詩は中国発祥のもので、日本は古くからこれら中国文化の影響を受けてきました。
特に江戸時代には、儒学や漢詩が、公家や大名だけでなく下級武士や一般の人々にも広く普及しました。
このような背景から、茶山をはじめ文人(ぶんじん)と呼ばれた江戸時代の知識人たちは、中国文化に対して強いあこがれと深い関心を持っていました。
日本の文人たちが生み出す漢詩、書跡、絵画などの作品には、中国文化に基づく教養が多く反映されていました。
この展示では、江戸時代の文人たちがどのように中国に関心を持っていたかを紹介します。
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中国の文人を描いた異国情緒あふれる絵

馬上人物図 (ばじょうじんぶつず)(部分)
(1603年)(重要文化財 菅茶山関係資料・当館蔵)
馬に乗り、背を向け遠くを眺める、中国風の人物が描かれています。
人物の左側に書かれた落款(らっかん)には、中国明代の万暦31年(1603)に塵白という人が学友のために描いたと記されています。
静謐な雰囲気を醸しつつ、力強い視線が印象的です。
日本の文人たちがあこがれた中国の文人とはこのような姿だったのでしょうか?
海外との貿易が厳しく管理・統制されていた江戸時代でも、このような中国の文化を伝える文物は、長崎などを通じて日本に伝来していました。
展示の概要
長崎は、キリシタン大名として知られる大村純忠(おおむら すみただ)により、ポルトガルとの貿易港として今から450年ほど前に開港しました。
これをきっかけに発展した長崎では、国際色豊かな独特の風土や文化が育まれました。
長崎で交流していた国の中でも、中国は古来から交流のある国で、日本が諸外国の文物や情報を収集するためにも欠かせない国の一つでした。
近世日本の諸外国との交流は、守屋壽コレクションの蒐集(しゅうしゅう)テーマの大きな柱の一つです。
コレクションには、江戸時代の長崎の町を描いた古地図や、長崎での国際交流の様子を伝える絵画資料、長崎と各地を旅した人々の記録などの資料が多く含まれています。
今回の展示では、コレクションの中から長崎と中国に関する資料の一部を紹介します。
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長崎での交流を物語る資料の貴重な写本

「琉球国図(りゅうきゅうこくず)(海洋清晏図(かいようせいあんず))」(1900年代初め頃)
(守屋壽コレクション・当館蔵)
上の図は、上海を出港した中国船が、長崎に到るまでの航海中の景観を描いた絵巻です。
長さは何と8m以上!
この絵巻は、中国の清朝宮廷の旧蔵品「海洋清晏図」を、中国で模写したものとされています。
原本は、日本に関する正確な情報を得るために清朝の康熙帝(こうきてい)が1700年代初めに派遣した役人が帰国後に作成したものと考えられます。
巻末に「琉球国図」との墨書がありますが、この絵巻の内容とは一致しません。
この絵巻には1689年に建てられた唐人屋敷(=中国人の住居)が描かれる一方で、中国船の積み荷の倉庫用に1702年に築かれた人工島の新地(しんち)が見えないことから、1689年~1702年(元禄2年~15年)の間の長崎の様子であることが分かります。
展示の概要
菅茶山(1748~1827)は、江戸時代後期の儒学者・教育者・漢詩人で、「当代一の漢詩人」と称され、全国に名を知られました。
茶山は生涯を通じて備後国神辺(福山市神辺町)を拠点に活動しましたが、重要文化財「菅茶山関係資料」には、海外に関する資料も数多く含まれています。
江戸幕府は、いわゆる「鎖国」体制のもとで海外との交流を制限し、国内の安定を図っていました。
一方で、18世紀後半以降、ロシアによる南下政策の進展など、日本を取り巻く国際情勢は大きく変化していきました。
茶山をはじめとする知識人たちは、こうした海外情勢の変化にひときわ大きな関心を寄せていました。
今回の展示では、「鎖国」下で茶山が入手した海外情報の一端について紹介します。
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琉球文化を知ることができる絵画資料

琉球王宮舞楽図 (部分)
(江戸時代後期)(重要文化財 菅茶山関係資料・当館蔵)
薩摩藩を介して日本と国交を結んでいた琉球では、琉球使節の江戸上りの時に、江戸城内や薩摩屋敷などで室内楽(御座楽(うざがく))が披露されました。
また、琉球国王の就任に伴い中国から派遣される冊封使(さっぽうし)の歓待時には、首里城でも披露されています。
琉球使節にとって、このような芸能は外交のために欠かせないものの一つでした。
この図は御座楽を描いたもので、15~18歳の元服前の男子による楽童子(がくどうじ)が、楽師とともに演奏する様子が描かれています。
日本の知識人にとっても琉球の芸能は、琉球という国を知る上で重要なものだったのでしょう。
この図が茶山のもとに残されていたことは、そうした関心の深さを物語っています。
展示の概要
嘉永6年6月3日(1853年7月8日)、ペリー(1794~1858)率いるアメリカ合衆国東インド艦隊が江戸湾(東京湾)に来航し、幕府に大統領の国書の受理を求めました。
この事件は日本中を震撼(しんかん)させ、年々高まりつつあった欧米諸国の東アジア進出に対する危機感を決定的なものとしました。
この事件以降、時代は幕末へ向かい、そして明治維新へとつながっていきます。
今回は、幕末への転換点となった日本の歴史上の大事件である嘉永6年のペリー来航について、日米の資料を通して双方の視点から紹介します。
展示資料一覧
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ペリー艦隊に同行した画家が描く日本の歴史的瞬間

原画ウィリアム・ハイネ「久里浜上陸の図」(1856)
(守屋壽コレクション・当館蔵)
ペリー艦隊には、記録画家としてウイリアム・ハイネが同行し、各地の風景や人びとの姿をスケッチしました。
ハイネの描いた作品は、ペリー艦隊の日本遠征の様子を詳しく伝えるもので、石版画(リトグラフ)として公式記録集の挿絵に使われたほか、風景画集などとして出版もされました。
上の画像はその一枚で、ペリー一行が日本の久里浜に初上陸した場面を描いています。
久里浜の沖合にはペリーの艦隊が見え、上陸するアメリカの兵士を囲むように日本の兵士が整列している様子が分かります。
▷菅茶山の世界「江戸時代・文人の中国趣味」
▷守屋壽コレクション「長崎と中国」
5月1日(金)~6月21日(日)
▷菅茶山の世界「菅茶山と当館収集の近世資料」
▷守屋壽コレクション「城絵図と城下絵図」
6月27日(金)~8月23日(日)
菅茶山の世界・守屋壽コレクション合同展示
▷「備後名所刷版木と鞆の浦」
8月28日(金)~10月25日(日)
▷菅茶山の世界「不屈の儒学者・門田朴斎」
▷守屋壽コレクション「仏教と世界地図」
10月30日(金)~12月20日(日)
▷菅茶山の世界「菅茶山と「好古学」」
▷守屋壽コレクション「西洋が伝えた近世日本」
1月2日(土)~2月28日(日)
菅茶山の世界・守屋壽コレクション合同展示
▷「菅茶山関係資料の保存修理と福山藩関係資料」
3月5日(金)~4月25日(日)
一般:320円(250円)
大学生:230円(180円)
高校生以下及び65歳以上は無料
※( )内は20名以上の団体